メンバーの日常

スリーイン社員のテレワーク日記


5月20日(水) くもり

ここ最近ものすんごく家の中にいます。
昔、学生時代に自分のやる気スイッチが突然オフに入った時以来のものすんごい記録的ステイホームです。

元々、インドア派で、満員電車が少し苦手だったり、何気ない「連休何しました?」的な質問を激しく恐れていたりしていたんですが、今は堂々と胸を張って言えます。「家にいました」と。

この、パーソナルスペース的な、はたまたコンフォートゾーン的な、ディスタンス概念が星空だけのものではなく、不可逆的なものであるとするならば、そーです。すでに解決してしまったかもしれません。インドア派が抱えている諸問題。

インスタにアクティブでステキな日常をアップし続けていたコミュ力の高いパリピの方々に対して、孤独な室内からマウントを取れる日が来るなんていまだに信じられません。諸行無常です。

原因が原因だけに、私も他の部分ではとても困っていますし、もっと大きな被害に合われている方々にはおかけする言葉も見当たらないのですが(早く問題が解決するよう本当に願っています)、世の中のパラダイムがシフトするときはこんな感じなのかもしれません。

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家にいることにより、通勤がほぼなくなり、時間的に余裕が生まれたので、何かできることがないか考えたりするのですが、そういう時(暇な時)にいつも思い出すのが、スラムダンクです。

スラムダンクは、言わずと知れたバスケ漫画の名作で、主人公の桜木花道が、ただの不良学生から類稀なる身体能力を活かして高校バスケのスター選手になっていくお話です。そのストーリー中では、流川というイケメンライバルの存在や、仲間思いのキャプテン赤木など、個性溢れるキャラクターが物語を華やかに彩るだけではなく、「あきらめたら、そこで試合終了だよ(安西先生)」みたいな数々の名言すら随所で飛び出して来さえする、圧倒的面白さと、普遍的人生哲学を兼ね備えた、シンプルかつ抽象的なカオスでエロスなポエムなのです。(未読)

まあ、一度も読んだことがない、私でもこのぐらいは知っている、説明するまでもないマスターピースということです。

で、なぜ私が空いた時間ができるとスラムダンクを思い出すかというと、ある知人に「スラムダンク読んだことないの?これからスラムダンク読めるなんて幸せだね」みたいな事を言われたことがあり、その言葉をずっと覚えているからです。たぶん、その友人の言いたいことは、すでに完結していて、凄まじく面白いと分かっている作品をまっさらな状態で読み始められる私の状態が羨ましいということなのでしょう。

人生には楽しいことや辛いことが数え切れないほどあって、特に「楽しいこと」に関しては、「あの時すごい楽しかったな」と、後から気付くことが殆どだというのに、なんと、確実に未来の「楽しいこと」がわかっている秘密のカードを私は持っていることになります。やったね。

ただ、ここで思うのは、「確実に楽しい時間を過ごすことができるというジョーカーをここで切ってしまったいいのか」という疑問です。せっかくのキラーコンテンツを読んでしまったら、私にスラムダンクの面白さを伝えてくれた(スラムダンクをまだ読んだことがない人を羨むだけの)知人と同じ平凡で退屈な状態になってしまわないでしょうか?つまり、「スラムダンクの面白さ」を「人生における大きな楽しみの一つである」と仮定した場合に、「スラムダンクを読むこと」より「スラムダンクをまだ読んでない状態を続けること」の方が価値が高い可能性があるのではないかということです。

人生を数値化すことは難しいですが、一つの考え方として「楽しいこと(プラス)」と「辛いこと(マイナス)」の合計数値がプラスだった場合を幸せな人生、マイナスな場合、不幸な人生だったと見ることができます。ただ、おんなじ合計数値の人生だったとしても、前半に大きくプラスが偏っていて後半がマイナスな人生と、後半にプラスがたくさん残っている人生を比べれば、ほぼ100%の人が後者を選ぶのではないでしょうか?
いや、間違いありません。絶対に後者です。

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……危なかった。時間の余裕ができたことにうつつを抜かして、危うくスラムダンク読んでしまうとこでした。
ギリギリのところで極めて重要なポイントに気付くことができてよかったです。
これも、テレワークで浮いた時間を有効活用し、たまに就業時間も使いながら繰り返し行った思考実験のおかげです。

あースッキリしました。
スッキリしたら、ものすんげーキングダム読みたくなって来ました。

いやー羨ましいっす。まだキングダム読んだことない人。それ、まじで極上のキラーコンテンツですから、絶対読んじゃあダメですよ。後悔しますからね。

もいっかいキングダムよみなおそっと。
Have a nice day♪